08. 美女、野獣の罠にはまる。






 

 もう、恋愛はしない ――――――― 。

 そのために化粧も洋服も地味にする。

 そして地味な生活をするんだ。

 何度も何度もそう心に誓った気持ちは、魔法によって溶けていった。

 でもそれを私は見て見ぬ振りをしている。

 それを認めてしまったら私は私でなくなってしまうから。



 目が覚めたら専務の笑顔が見えた。

 「おはようございます。」

 またあのとろけるような笑顔で私を見つめる。

 「お、ハヨウゴザイマス。」

 なぜか片言の日本語になってしまった。

 肩肘をついて私を覗き込んでいた専務は空いてる手で私の髪をもてあそんでクスクス笑っていた。

 


 私たちは体の関係をもってしまった。

 


 彼に抱かれながら、何度も愛してると言われ、

 体中で幸せを感じていながら、それでもまだ自分の気持ちをいっていない。

 あんなにいじわるだった専務が

 すごくすごく優しくって、

 温かくって、

 正直途惑っている私がいる。

 もう、恋愛しないって心に決めた私の足元がふわふわとしているのがわかる。

 「華、どうしたんですか?」

 私の心を読んでるのかしら、この人。

 心配そうに覗き込まれた。

 「何でもありません。」

 そういってベッドから出ようとする。

 が、手首をつかまれた。

 「どうして行こうとするのですか?」

 あの専務が、まるで捨てられた子犬のような顔をする。

 「着替えます。離してください。」

 振りほどこうとしても離してくれない。

 「君は捕まえたかとおもったらすぐに逃げようとするのですね。」

 「捕まった覚えはありません。」

 捕まったけど・・・・。

 悔しいから口には出してやんない。

 「往生際が悪いですね。僕からは逃げられないっていったでしょう?」

 知ってる。

 自分でも逃げられるって思ってないし。

 でも、逃げるの。

 「もう、離してください。」

 「いやです。僕はまだ肝心なことを聞いていない。」

 それだけはいえない。

 言っちゃいけない。

 もうあんなに辛い思いはしたくない。

 「なんのことですか?」

 「華。」

 低い低い声で名前を呼ばれる。

 専務が怒ってるのがわかる。

 だから、目をみれない。

 ふぅっとため息を吐かれたと思うとふわりと抱きしめられた。

 「華。」

 もう一度名前を呼ばれる。

 お願い、呼ばないで。

 あなたに呼ばれたら私は逆らえなくなってしまう。

 「あなたが異性と距離をとりたがっているのはわかっていますよ。

 恋愛とかしたがらないのも。

 だから、わざと目立たない服装しているのもわかる。

 別にそれに対して何も言うつもりはないけど・・・。」

 そこまで言うと私の瞳を覗き込んできた。

 「そんなに僕は信じられないですか?」

 その言葉に体が凍りついた。





 
 シンと静まり返った部屋では時計の針の音だけが聞えた。

 「信じてって言う人ほど信用ならないです。」

 そう答えるのがやっとだった。

 痛いほどの視線を避けるようにして彼から離れようとするも両手が

 私の両肩に痛いほどがっしりと食い込んではなれない。

 この人は細そうで力が強い。

 「お願いですから離してください。」

 「いやです。」

 今まで聴いたことのないくらい真剣な声で言われてしまった。

 「専務。」

 「昨夜、ダニエルって呼んでっていいましたよね。」

 言われたけど、言えるわけないじゃん。

 「華、どうして?どうしてそこまで人を受け入れられないのですか?

 人を信じられないのですか?

 僕は君を裏切りましたか?」

 「今は裏切ってないけどこの先わからないじゃないですか。

 人の気持ちなんか変るんですよ。

 口先だけならなんとでも言えますよ。」

 そうだ、なんとでも言える。

 「君は僕が裏切ると思ってるのですか?

 そんな器の小さい男だと。」

 「それは・・・・・。」

 続きの言葉を待っていた専務は私がなかなか言おうとしなかったのに痺れをきらしたのか、

 はぁっとため息をついて立ち上がった。

 「わかりました。」

 そう言って腰にタオルを巻きながら部屋を出ていった。

 パタンとドアの音だけが部屋に響いて、

 私は部屋に取り残された。

 「うっ・・・・。」

 自分がバカなことをしているのはわかってる。

 彼が裏切らないことも。

 でも、どうしてもどうしても怖かった。

 なんどもなんども裏切られた記憶が鎖となって私をがんじがらめにしている。

 涙が出てきた。

 ほろほろと出てきた。

 「専務・・・・。」

 下を向いて呼ぶ。

 答えがない。

 「ダニエル・・・・。」

 答えがないとわかっているのに自然と口からこぼれる名前。
 
 私はこんなに好きになっていたのだ。

 離れていってしまってから気持ちがあふれてくる。

 バカだ。

 ほんとにバカだ。

 







 「今、僕を呼びましたね。」

 その声に驚いて涙がぴたりと止まる。

 声のほうを振り向くと、両手にコップをもった専務が、

 ドアに寄りかかりながらニヤリと笑っていた。

 そう、いつもいつも私を悩ませてたあの笑顔。
 
 「ただ、コーヒーを煎れに行っただけですよ。

 僕がいなくなるとでも思いましたか?」

 









 やられた・・・。

 



 


  









    






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