07. 美女、野獣に魔法をかけられる。







 キスしてしまった・・・・。

 しかも何度もしてしまった・・・・。

 やばい、実にやばいぞ、私。

 キスをした後は、何もなかったからよかったものの。

 それでも、朝洗面所でばったり会ったとき、

 とろけるような笑顔でおはようといわれた。

 朝一番にあの笑顔は毒だ。

 顔を拭くためのタオルで真っ赤になった顔を隠して逃げてしまった。

 その後も、逃げるようにして会社に向う。

 ここに一緒に住むようになってから、実は会社もバラバラに行っている。
 
 彼には運転手さんが家まで迎えに来ている。

 私はいつものように電車で向う。

 満員電車は好きじゃないけど、ヤツと一緒の空間が長くなるよりは何倍もまし。

 ギュウギュウに押されながら、環状線のいつもの車両に乗り込む。

 どうにかして手すりを持ったとき、携帯のバイブの音がした。

 こんな時間に誰よ・・・・。

 渋々画面を見ると母親からだった。






 「華〜。どう?」

 まったくもって能天気きまわりない母の声。

 「どうって・・・。」

 なんて答えればいいのよ、こんな時に。

 「ダニエルさんにちゃんとご飯作ってあげてる?」

 う、ちゃんととは言い切れない。向こうのほうが上手なんだもん。

 「はぁ。こんなことならちゃんと家事のこと教え込んでから

 カナダに行けばよかったわ。」

 そんなこと頭にもまったくなかったくせに。

 「それよりも何?電話してくるって何か用事があるんでしょ?」

 駅から歩きながら話しているため、もうすぐ会社についてしまう。

 用件を早く聞きたいのに。

 「あ、そうそう、来週一度かえってくるから〜。ビザの関係でね。

 だからダニエルさんにぜひご挨拶をと思って。なんだか忙しそうな人でしょ?

 大丈夫な日聞いてメールでもして〜。」

 「はぁ?来週?なんでそんなこともっと早くに言わないのよ。」

 「ごめんごめん〜。忘れてたのよ。あは。」

 あは、じゃないでしょ?もう。

 「わかった。用件はそれだけね。じゃあ切るから。」

 「あ〜ん、冷たいなぁ。」

 電話先でブチブチ言ってるのは無視して切る。

 はぁ。いやだなぁ。

 なんて専務に言えばいいんだろう。

 別に親に紹介する仲じゃないのに。

 というより、私たちの仲ってなにさ。

 上司と部下?なのに何で一緒に住んでるのよ。

 分けわかんない。

 立ち止まって、むーっとヒールのつま先を睨む。

 そうよ、なんでキスなんかしてくるのよ。

 あんなにベタベタしてくるのよ。

 あんなとろけるような笑顔を向けるのよ。

 私はあの人に対して冷たい態度をとってきた。

 もちろん、見かけもいいわけじゃない。家でもジャージとか

 まったく色気も何もない不細工な格好をしてたから、

 きっと恋愛対象には思えないはず。

 なのに、あんな態度されたら。

 勘違いしちゃうじゃない。

 いったい専務は何がしたいの?





 イライラしながら仕事を始める用意をする。

 今日は、会議もないし、一日こもりっぱなしか。

 という事は、専務とこの部屋でずっと二人きり・・・・・。

 ガチャっと音がして飛び上がるほどにびっくりした。

 私って何考えてたの?

 一瞬、頭に昨日のキスのことが浮かんできたのは気のせいよね。

 「どうしたんですか?」

 あ、お迎えに行く時間だったのに。

 「べ、別になんでもありません。すみません、お迎えに行かなくて。」

 「ああ、大丈夫です、今日は一日中こもるから予定とかないですから。

 それよりも、顔赤いですが大丈夫ですか?」

 近寄って私の頬に手を当てて覗き込む。

 「なんでもないです。気のせいです。それより、来週の夜、

 あいている日ってありますか?」

 慌てて手を振り払いながら専務と距離をとる。

 「来週ですか?特に夜は予定入れてませんがなにかあるんですか?」

 「うちの両親が帰ってくるので、一度お会いしたいと。」

 その言葉に、きらりと目が光った。

 ああ、光った。

 「わかりました。僕はいつでも大丈夫なのでご両親と都合あわせてください。」

 それだけ言うと、専務は仕事を始めた。

 もっと何か言われるかと思ったのに。

 でもあんなふうに目が光った日にはろくなことがないって最近学習してきた。

 大体、専務にしてやられることが多い。

 気をつけないと身の安全は保てない。

 気をつけないと。






 なんて気を張ってたのに、気がつくと週末で両親が目の前にいた。

 「華!」

 うれしそうに手を私に振っているお父さん。

 もう、体中から人のよさそうな空気を出しているような人。

 その隣には、年中頭の中が春みたいなお母さんが立っていた。

 とても私の両親とは思えない・・。はぁ。

 この夫婦には小さな頃から手を焼かされた。

 ぽよぽよ夫婦はよく人にだまされそうになってはぎりぎりのところで

 いろんな人に助けられるという運がいいんだか、よくわからない夫婦だった。

 中学生あたりからこんなんじゃ、いつか痛い目に合うと思って

 私だけはしっかりしようと心に決めた記憶がある。

 「あいかわらずの格好だね。華は綺麗なんだからもっと着飾ればいいのに。」

 ブツブツ文句をいうお母さんの小言も久しぶりだ。
 
 そんなお母さんの小言をしっかり聞いてクスクスと笑っている人が隣にいたことを忘れていた。

 「専務。」

 睨み付けるようにして見上げる。

 「ああ、ごめん。あんまりにも想像通りの人で。」

 想像通り?

 「初めまして、ダニエル・jr・ブリキューズといいます。

 華さんとは電話でお話ししましたように、結婚を前提にお付き合いさせていただいてます。」

 ・・・・・・・・・・・。

 はぁ?

 結婚?

 誰と誰が?

 「いやぁ、電話でお話聞いた時は驚きましたがこんなにいい方とは思いませんでしたよ。」
 
 はっはっはっなんて効果音がつきそうなくらいにお父さんが笑っている。
 
 「そんな、直接行って挨拶にうかがえなくて申し訳ありません。」

 なんだか、私抜きで話が進んでる?

 呆然と立っている私に向ってすでにテーブルに進んでいたお母さんが、

 「華。なにしてるの?早くおいで」

 なんてにこやかに手招きしている。

 頭の中は「結婚」の二文字でいっぱいだった。

 おかげで久しぶりの両親との会話のほとんど頭に入っておらず。

 いつの間にやら食事も終わって両親と別れることになった。

 私が知らない間に両親のために某ホテルのスウィートをとっていたらしく、

 両親はニコニコでそのホテルに戻っていった。

 私に対して、

 「あんなにいい人はもう捕まらないんだから、のがしちゃだめよ」

 と言い残して。

 



 「はぁ〜、さすがに緊張しますね。」

 ニコニコ顔の専務が、ネクタイをはずしながら隣で座っている。

 そう、両親とは別のホテルのスウィートに連れてこられた。

 どうも、専務の知り合いのホテルらしい。って、こんな事は今は関係ない。

 私は黙って下をむいたまま。

 とにかく怒っていた。

 「華?どうしましたか?ずっと黙ってて。

 食事にも手をつけてませんでしたね。やっぱり体調わるいのですか?」

 ああ、あなたのおかげで記憶もすっかり飛んでしまったわよ。

 眉間にしわを寄せて下しか見ていない私にため息をついた。

 「どうして怒っているのですか?」

 その言葉にカチンと来た。

 「はぁ?何言ってんですか?なんで怒ってるかわからないのですか?

 信じられない。私たち、付き合ってもいないのに何であんなこと言うんですか。

 そんなに嫌がらせしたいんですか?」

 「嫌がらせ?何でそんなこと言うんですか?」

 びっくりしたように専務は私を見つめた。

 「嫌がらせでしょう?私が困るようなことばかりするじゃないですか。

 なんでこんな手の込んだ嫌がらせするんですか?」

 泣きたくなかったからぐっと涙をこらえながら訴えた。






 「好きだからに決まってるからでしょう?」






 今まで見たこともないほどの優しい顔で専務はそう言った。

 「あなたを困らせるのも、あなたの家に押しかけるのも、

 あなたの両親に会うのも、全部全部、あなたが好きだからです。

 あなたを手に入れたい、ただそれだけで僕は動いているんです。」

 そういって私の両手をそっと握り、手の甲にキスをした。

 「僕は、今まで人を好きだという感情が正直あまりありませんでした。

 だけど、あなたに会って人生が変わりました。」

 そういってまた一つ手の甲にキスをした。

 「毎日が楽しくて仕方がありません。今までの僕を知っている人はきっと驚くでしょう。

 僕はあまり笑わなかったのですから。

 こんなに毎日笑っていられるのはあなたに出会えたからです。」

 専務の言葉の一つ一つが心に落ちていく。

 「確かに、あなたからすると困ったことをしてるかもしれません。

 しかし、どんな手をつかってもあなたの側にいたいのです。」

 そういって笑った専務の顔は少し寂しそうだった。

 「だから、僕と結婚してくれませんか?」

 私は、まるで魔法にかかったみたいに専務の手を離すことができず、

 専務のキスから逃れられなかった。

 

 

 
 

 

 

  

 




 

 

 

 

 

 
 

 
 

 
 


  









    






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