06. 美女、野獣について考える。

 




 
 「水野さーん。おひさしぶりです〜。」

 久しぶりに気の抜けたこの口調を聞いて、なんだかほっとする。

 「なつちゃん、久しぶり。元気だった?」
  
 いつも本社に常勤している私と違って、

 なつちゃんは以前勤めていた建物の中で取締役の秘書をやっている。

 見た目は怖そうな人だったけど、大丈夫なのかな?

 「元気ですよ。仕事も楽しいし。

 新しい上司なんか、見た目はきつそうな人なのにもうすごくかっこよくって。

 どこまでも付いていきます!って思わず言いたくなるぐらいですよ。」

 ああ、目が生き生きしてるね。

 楽しいんだね。

 心底、うらやましいよ。

 「それにしても、ココすごいですね〜。やっぱ本社は違いますね。」
 
 キョロキョロ秘書待機室の中を見回す。

 彼女は本社に来る事は初めてで、今回取締役と一緒にここへ訪れた。

 といっても、本社と以前勤めていた会社は歩いて10分ほどの距離なんだけど。

 取締役と専務はなにやら二人だけで話があるということで専務室にこもってしまい、

 こうして私となつちゃんが話せる時間が持てたというわけだ。

 「確かに、ここは豪華だけど、なんだか落ち着かないのよね。」

 いかにも高級そうなものばかりで何か壊してしまったら・・・と思うと

 あまり周りのものに触れない。

 それに専務付きの秘書は私一人だから、この広い秘書室はちょっと無駄のような気がする。

 「あ、それわかります。私達庶民ですから、急にこんなところで慣れろって言われても

 ちょっと無理がありますよね。」

 コーヒーを飲みながらうなずく。

 「だいたい、ちょっとエスプレッソ飲みたいなって仕事中言ったら何十万もするエスプレッソマシーンを

 次の日に買ってくるなんてありえないから。」

 そう、華が仕事中にちょっとつぶやいた次の日に当たり前のように部屋に置いてあった。

 「え〜!さすが、王子。やることすごいですね。」

 まだ、王子って呼んでるのね、やめなよその呼び名・・・。

 「仕事のほうはどうですか?大変です?」

 仕事ね。確かに前に比べると何十倍も頭をフルに使ってる。

 仕事しながら勉強することも多い。

 だが、充実感とやりがいは以前と比べ物にならない。

 それに、間近で仕事が出来る人にいるのはとても勉強になる。

 違う角度からいろんな見方が出来る広い視野と知識は、

 華にとって毎日が刺激的だった。

 そのことをつい熱く語ってしまった。

 気付くとニヤニヤしているなつちゃん。

 「熱くなるのは仕事のことだけですかぁ?」

 「な、なにセクハラ親父みたいなこと言ってるのよ!」

 ありえないから。

 ヤツは仕事以外は野獣よ、野獣。

 ちっとも見かけとかぶることなんかないんだから。

 「そうですか?紳士じゃないですか。

 大体、秘書がエスプレッソ飲みたいからといってマシーン買ってこないですよ。

 それに、初めて会ったときなんか水野さんしか見てなかったんですよ?」

 それは、私が睨んでたし、不細工なかっこうをしたから珍しかったんだと思うよ。

 「水野さんてもしかして鈍感って言われたことないです?」
 
 うう、後輩にひどい言われよう。

 下を向いてしまった華をポンポンと肩を叩き、

 「まあまあ、そこが水野さんのいいところということで。

 相手もこんなに鈍感だとすぐには手を出さないだろうし。

 その間にしっかり考えていたほうがいいと思いますよ。」

 「手を出すってありえないと思うけど。それに考えるって何を?」

 なつちゃんに詰め寄ろうとしたとき、

 専務室から二人が出てきた。

 なにやら楽しそうに話している。

 取締役なんか、専務の腕にそっと手を乗せている。

 そのさりげなさが、二人が親密な関係のように見えるのは気のせいかしら。

 「水野さん、お帰りになるそうです。」

 取り締まりのほうを見ながらそっけなく言う。

 耳が少し赤いような・・・・。

 ふ〜ん。そう。

 そんな仲なんだ。

 私の家に乗り込んで住み込んでるくせに、他の人が好きなんだ。

 ふ〜〜〜〜〜ん。

 「かしこまりました。」

 そう言って、取締役の荷物を取ってなつちゃんに渡す。

 「それでは、ダニエル。また今度ね。」

 ダニエルって誰よとつっこみたいところだったけど、

 専務の名前ってダニエルだったね。忘れてたわよ。

 にっこりと綺麗に笑った取締役はなつちゃんを伴って部屋を出ようとした。

 私はエレべーター前にボタンを押して待つ。

 二人がエレベーターに乗り込んで自分も乗り込み、1階のボタンを押してから

 エレベーター内は静かになった。

 「水野さんは、もう仕事になれた?」

 後ろにいた取締役が私に話しかける。

 多分、いい人なんだろうけど、今はなぜか話したくない。

 だけど、そんなわけにもいかず。

 「専務がわかりやすく教えてくださるので思ったより早く慣れたと思います。」

 「そう、彼は優しいからね。」
 
 微笑みながらいう取締役の言葉がなぜかとげが刺さる。

 なんでも彼を知ってるように言うんだ。

 ドアが開き、一階に着く。

 会社のエントランスには車がもう停まっている。

 なつちゃんが後部座席のドアを開け待っている。

 不意に、取締役が後ろから付いてきた私の方を向く。

 「彼をよろしくね。きっとあなたなら支えられる。」

 まるで母親のような口調でそう告げ、

 車に乗り込んだ。

 私なら・・・・支えられる?

 車が進む音で慌ててお辞儀をする。

 彼女の言葉が何度も頭の中で繰りさえられる。

 どんな意味なんだろう。




 


 部屋に戻り、専務にお茶を煎れる。

 実は、日本茶が何よりも好きと知ったときはかなり驚いた。

 茶葉や煎れ方にもこだわりがあるらしい。
 
 とりあえず、私は合格点をもらっている。

 「専務、お茶が入りました。」

 いつもは机についているのに、珍しく窓から外を眺めている。

 なんだか、表情がいつもと違って暗いような・・・。

 「どうかされましたか?」

 湯飲みを机に置きながら一応聞いてみる。

 「うん?なんでもないですよ。ありがとうございます。」

 ぱっといつもの顔に戻った。

 ニコニコしながらお茶を飲む。

 この笑顔は偽者だ。なんとなくだけどわかる。

 「専務。」

 睨むようにして、名前だけ呼ぶ。

 専務は、ふぅっとため息をついて本当の笑顔になった。

 柔らかい、安心できる笑顔。

 「やっぱり華にはかないませんね。でも、これはうちの家のことなんで

 関係ないことなんですよ。」

 そういって私の頭をポンポンと叩いて自分の席に着いた。



 関係ないこと・・・・。

  


 急に専務が遠い人のなった。
 
 私の中にはずかずかと許可なく入り込んできたくせに、

 自分の中には入れないで門前払いなんて。

 一緒に住むようになって、もう何日も経つんだよ。

 それなのに、関係ないですって!

 あんまりじゃないの。

 もう、心配してやんない。

 心の中で舌を出しつつ、

 「失礼しました。」
 
 と言いながらバタンと大きな音を立てて専務室を出た。
 
 ほんとムカつくんですけど。

 イライラしつつも頭の中はなぜか専務でいっぱいで。

 そういえば、専務の事はあまり何も知らない。
 
 家のこととか、プライベートのこととか。

 私が知っているのは、

 料理が食べるより作るほうが好きで。

 お風呂上りには必ず牛乳を飲むのが好きで。

 コーヒーよりも日本茶が好きで。

 けっこう強引で。

 強引に何かをやった後は実は優しかったり。

 サラサラな髪にコンプレックスもってたり。

 アメリカのドラマにはまっていたり。

 そんな、どうでもいいことばかり・・・・・。

 だけど、一緒にいるとそんなどうでもいいことが意外と大事に思えてたりする私もいて。

 あんなふうに邪険にされるのが、

 とても悲しくなった。

 
 
 
 
 
 「というわけだから、メロちゃんなぐさめて〜。」

 ちょっと酔っ払ったかなと思いつつも、メロちゃんの首に抱きつく。

 メロちゃんは心配そうにくんくん鳴いていた。

 うう〜、メロちゃん〜。

 「なにが、『と、いうわけ』なのよ。さっぱりわからないから。

 はっきり言いなさい。はっきりと。」

 うう、朱里ちゃん、今日も男前だね。

 なんとなく、自分の中でドロドロ治した感情が渦まいていたから、

 家に帰らずここに来た。

 そして明日が休みなのをいいことにかなり飲んだ。

 すきっ腹に飲んだもんだから、かなりきてるのだけど、

 そんなことはどうでもいいくらいに気持ちが落ち着かない。

 「だいたい、暗い顔して久しぶり来たなと思ったら、

 すごいピッチで飲んで、メロに絡むなんて。

 いい大人のすることじゃないよ。」

 ああ、ごもっともでございます。

 私はダメ人間です。

 ヤツがうちに一緒に住むようになってからここにも顔を出さなかった薄情な人間です。

 グチグチと言いながらもメロちゃんの首から離れることなく、

 すっきりしない気持ちをどうしようかとうだうだ酔っ払いの頭で考える。

 しょせん、酔っ払いなので、解決するわけでもなく。

 ただ、ただ、さびしい感情だけが、残っている。

 「あ、いいところに来た!ここにあなたを待っている人がいますよ〜。」

 頭上で、朱里ちゃんが誰かに話しかけていた。

 「よかった、やっぱりここにいたんですね。」

 その声は、私の悩む原因となった人物だった。
 
 後ろを振り返りたくない。

 メロちゃんの首に巻きつけていた両腕に力をこめた。

 「さ、迎えに来ました。帰りますよ。」

 帰りたくないもん。

 メロちゃんとここで朝を迎えるんだもん。

 イヤイヤと首を振るとため息をつかれた。

 「そんなふうに力を入れたらメロちゃんだって苦しいでしょ?ほら。」

 あ、メロちゃんごめん。

 慌てて力を緩めてメロちゃんを見る。

 その瞬間、グッと腕を引き寄せられ、無理やり立たせられた。

 「ほら、荷物はどこですか?」

 「ここです。」

 朱里ちゃんは私が持ってきたバッグを専務に渡す。

 あ、裏切りやがった。

 むーっと怒った顔をしても知らない振りされるし。

 「じゃあ、これ彼女の飲み代です。お世話になりました。」

 といって万札をだしてぐいぐいと外に引っ張っていかれた。

 なによ、今日私をお世話してくれたのはメロちゃんだけなんだから。

 朱里ちゃんとマスターは、

 「華〜、またね〜。」

 なんて遠くで手を振られる。

 なぜか私の頭の中では「ドナドナ」が流れた。




 いつの間にか車に乗せられ当たり前のように家に向かっている。

 片手はなぜか握られ、離そうとしても離してくれなかった。

 最初は手を繋がれるのがいやだったのに、

 さっきまであんなにさびしかった感情がいつの間にかなくなっていた。不思議だ。

 「なんで連絡もせず飲んでたんですか?

  飲みたかったら付き合ったのに。」

 いや、あなたのせいで飲みたい気持ちになったので

 そこであなたを呼んだらおかしいでしょう。

 「ご飯も作って待ってたのに。」

 「作って待っていたい相手は私じゃないでしょ?」

 酔っ払っているせいか、口から思わず滑り落ちた。

 「は?何のことを言ってるのですか?」

 「とにかく、あなたはご自分が行きたいところに行けばいいじゃないですか。

 だいたい、何で私に嫌がらせばかりするんですか?」

 どんどん、嫌なことばかり言っているのはわかる。

 だけど、止まらない。

 「あなたと親しくしたい人はたくさんいるじゃないですか。

 なんで私のところなんですか?」

 専務はずっと黙っている。

 「名前で呼び合えるような人のところにけばいいじゃありませんか。今日あった方とか。

  どうせ私はあなたとあまり関係ない間柄ですから。」

 酔っ払っているせいなのか、

 それとも頭の中がぐちゃぐちゃなのか。

 よくわからないまま、感情を吐き出して、気付けば大泣きしていた。

 いつの間にか車は止まっており、専務はじっと私を見ていた。

 車の中は私の鼻水のすする音のみで、とても静かになった。

 だんだん酔いが覚めてきたのか、冷静さを取り戻したのか、

 自分のさっきの発言を思い出し、青くなる。

 すごい恥ずかしいことを言ったような・・・。

 専務の顔は到底見られないから、下を向いてギュッと目をつぶる。

 「華。」

 優しく、専務は私の名を呼ぶ。

 だけど、顔を見せたくなかった私は下を向いたままだった。

 「今まで、女の嫉妬は醜いものばかりだと感じてましたが、

  あなたが嫉妬するとどうしてこんなにも愛おしく感じてしまうのでしょうか。」

 は?嫉妬?

 私は専務に嫉妬してた?

 いや、違う。取締役に嫉妬してた?

 ううん。ありえない。

 「ちがいます。嫉妬なんかしてません。」

 必死に否定したのになぜだか専務の腕の中にいて。

 「よしよし、可愛いですね。そんなに必死に抵抗して。

 今まであなたが僕に抵抗して勝てたことなんかありましたか?」

 もごもご動いても力で勝つわけがなし。

 悔しいから睨んでやろうと思って顔を上げると

 それを待ってたかのように眼鏡を取り上げられ、

 「これは邪魔ですから。」

 そういつもの野獣を潜めた笑顔になったかと思うと

 キスが落ちてきた。

 優しく優しく唇をついばむように、

 何度も角度をかえて。

 とてもキスが甘く感じたのは初めてだった。

 その甘さに、自分を忘れたのか、

 いつの間にか、そのキスの虜になってしまった。

 

  

 




 

 

 

 

 

 
 

 
 

 
 


  









    






inserted by FC2 system